「キャシャーン―ザ・ラスト・デイ・オン・アース」北条匠 集英社文庫

キャシャーン―ザ・ラスト・デイ・オン・アース

超大型ムービーの小説版!!
宇多田ヒカルのミュージックビデオでの評価が高い、紀里谷和明氏初監督映画の小説版。戦地で死亡したはずの主人公鉄也は、新造細胞によって生まれ変わり、悪の軍団との壮絶な戦いに身を投じた!

凝りすぎたヴィジュアルと持って回った演出のおかげで何が何だか理解できなかった
紀里谷監督の「CASSHERN」。小説版は、舞台背景や登場人物の内面が細かく描かれ
難解だった映画を理解するための副読本としてよく出来た内容を持っている。
…んなわけねぇだろっ!映画で判んなかったもんがさらに判らんようになるぞ、これ。
書き手の北条匠の筆力に問題があるのかそれとも紀里谷和明からおかしなところだけ
影響を受けてしまったのか全編ポエムのような文章で読んでいる方が恥ずかしいです。
背景になる近未来社会(…だよな?)の説明はランダムに出てくるし人物は性格外見共に
ろくな描写が無い。映画はイメージなのか回想なのか現実なのか区別の無い映像のせいで
混乱する。小説はどこで誰が何をやっているのか映像がない分、理解がしにくいわ
こっちはこっちで文章が自己陶酔していて読みにくいこと極まりない。

「戦いって?」「戦いだ」

「なぜ殺す!」「それがわたしの運命だからだ!」

台詞の飛躍っぷりが凄いですな。キャシャーンと最初に闘った敵人造人間サグレーは

「空…空が…綺麗…」

と言い残し幸せそうに息絶える、てぇのもよく判らん。名前のみで人物書き分けていて、
描写がないから唐突なんだよ。映画が「観客置いてぼり」だとすれば小説の方は
「読者置いてけぼり」。置いてけぼりの感覚だけが忠実に映像から文章に移植されて
いる困りものの内容。なんとか堪えて読みきると巻末にあるのが、紀里谷和明監督から
のメッセージ。中学生の作文のような反戦論があった上に

この映画には壁がありません。

とか書かれてると体温が上昇するってもんよ。直球勝負な意気込みは買えるし決して
「嫌いな映画」ではない。しかし芯にある反戦メッセージは幼稚すぎて共感出来ない。
独りよがりなケバケバしい映像をえんえんと観せられるのは苦痛だし筋書きや内容が
判りにくいのは観客側にとって「大きな壁」だと思う。それで「お互い理解しあおう」
「壁を取り払って見てほしい」という主張をされても気持ちが悪い。作品のテーマは
反戦であり、平和を訴えている。が、独善的な陶酔した映像で見せられるとわけが
判らないんだよ。「クールでスマートなものが好まれ」るのは「誰も傷つきたくない」
からじゃない。「クールでスマート」じゃないと伝わってこないんだよ。一方的な
表現の仕方をして相手には理解を求める。この態度は「平和」を産むのか「争い」を
産むのかどっちなんだ?…途中で小説版から離れ紀里谷監督の映画について語って
しまった。旬を過ぎた時期に、止せばいいのにわざわざノベライズを読んで文句を
ぶつぶつと垂れるおれも変なんだけどさ。