…若気の至り

夜のオデッセイア
部屋を整理してたらあるファイルが出てきた。高校3年生のときに国語表現という授業を
選択しており、当時読んでいた本の感想をまとめ課題として提出したものである。担任の
先生による印が押してあり日付はs.63.1.29になっている。

「山猫の夏」はよかった。作品としては「山猫の夏」が上になるだろうが僕はこの「夜のオデッセイア」の方がいい。10年たとうが20年たとうが、いや、一生心に残る一冊といってもいい。登場人物がそれぞれ生き生きしていて好きだ。日本の大方の小説みたいに筋書だけのものなどとは違うのだ。主人公ら6人はそれぞれ暗い過去を持ち、貧乏くじを引いてしまったものばかりである。似たもの同士集まった彼らはいつしか心のしこりを忘れ自分自身をとりもどしてゆく。読んでいて何度も思ったことは自分もオデッセイアに乗せてほしいということである。なぜなら自分も主人公たちと同じような人間だからである。だからこそ僕にはオデッセイアに乗っている彼らがうらやましく思えてしかたがないのだ。

船戸与一「夜のオデッセイア」の感想をそのまんま引用してみた。この頃は背伸びをして
ハードボイルドや冒険小説読みまくってたからなあ。ここまではまだいい方で…

さらに感じたことはアメリカという土地の開放感だ。僕ははっきりいって日本という国が嫌いだ。どうしてチマチマした箱庭根性を持った奴しかいないのか。どうして皆飼いならされてしまうのか。

…何様なんだぁ、お前は。話がズレてるぞ。なんかいろんな鬱屈がたまってたみたいです。
正直文章を変えてしまいたいのをぐっと堪え、当時のままにしています。

主人公らはその日その日をめいめいの思いを持って生きている。気ままに野宿、気ままに「オデッセイア」を走らせる。ここには管理社会などという言葉はかけらもない。彼らは生きたいまま生きているのだ。だからこそ彼らは輝いている。僕にはうらやましいという他はない。この作品には僕のあこがれのようなものがつまっている。船戸与一が僕だけのために書いてくれた。そんな錯覚をしてしまうような一冊である。

本当に錯覚しまくりです。管理社会ってとこが身悶えするほどに恥ずかしくてたまらん。
こんな調子で他にも20冊分感想を書いており読んでいると頭を抱えたくなる。考えたら
今でもここで本の感想を書いているわけでまた10年、20年後に読みかえすと同じように
恥ずかしい思いをするのかな?それでも高校生の頃の自分に一番伝えたいのは今でも
「夜のオデッセイア」は大好きな小説だ、という事なんだけどね。