「黒い天使」コーネル・ウールリッチ ハヤカワ文庫

黒い天使 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
愛人殺しで有罪となった夫の無実を晴らそうと若妻は偶然見つけた手掛かりをもとに
イニシャルMの真犯人を 探し出そうと一人探偵行に身を投じる。 「幻の女」
(W・アイリッシュ名義)は あまりに有名なオールタイムベスト級の作品で傑作だった。
「暁の死線」はサスペンスフルで徹夜で読んだ。 短編もいくつか読んでいるはず。
けれどおおまかな粗筋しか憶えておらず、ミステリーなのに事件がどう解決したのか綺麗
さっぱり記憶から消えている。心に鮮明に焼き付いて残っているのは作品のムードや文章、
印象的な場面だ。 「黒衣の花嫁」「喪服のランデヴー」等有名どころの作品は 所有して
いるのにもったいなくて読みだせない。 おれにとってウールリッチそんな作家だ。
「黒い天使」はミステリーとして「幻の女」や「暁の死線」と 比べてもランクが落ちる
作品のように思う。お話がイージーだし解決の仕方もちょっとした捻り程度のものであまり
大したことはない。この作品の場合事件の真相よりミステリアスなのは宝石のように美しい
文章で綴られる裏社会や都会の夜、そして本人も気付かぬうちに平凡な若妻アルバーターが
美しくしたたかな「天使」に変貌していくところだ。不安と窮地に立たされた彼女自身の
視線から語られた本文は次第にエロチシズムすら感じさせる。アルバーターは夫を救おうと
するけなげな妻でもあるのだが容疑者たちにとっては企みをもって近づく「悪女」でも
ある。含みのあるラストシーンにしてもウールリッチという人は心に女性不信を抱いていた
のではないだろうか?生涯独身で孤独な死を遂げた経歴を知ると、なおさらそんな気が
してくる。しばらく経てばこの後読むであろう多くの物語に埋もれて、「黒い天使」の
推理ドラマの部分は忘れてしまうだろう。それでも締めつけられるような響きで
オールウェイズが流れる哀切な場面などは決して忘れない。小説を読んでいて久々に音楽が
聞こえた瞬間だった。オールウェイズという曲を聞いたことがないにも関わらずに。