「人造人間キカイダー」石ノ森章太郎 秋田文庫

人造人間キカイダー (1) (秋田文庫)人造人間キカイダー (2) (秋田文庫)人造人間キカイダー (3) (秋田文庫)人造人間キカイダー (4) (秋田文庫)

特撮作品。プロフェッサー・ギル率いる悪の組織ダークと、光明寺博士によって製作された人造人間 キカイダー(人間型形態時はジロー)の戦いを描いている。原作は石ノ森章太郎

必殺技はデン・ジ・エンド。他の必殺技には大車輪投げなどがある。

愛車はサイドマシーン。時速300キロは出るそうである。

弱点は不完全な良心回路。プロフェッサー・ギルの笛の音が流れると悶絶して戦えなくなる。

ジローの特技として、バイク運転とアコースティックギター弾き。

実写版でも、ギターの音色を聞く事ができる。


ライバルとして、ハカイダーがいる。彼は拉致された光明寺博士の脳を移植したロボットサイボーグで、常にジローの前に立ちはだかる。その奇抜なデザインと美学から根強いファンが多い。

わー、懐かしい。原作漫画を買ったきっかけはこれだけのこと。子供の頃を思い出し
ながらのんびりページを繰ろうと思えば、流麗で美しい画面構成に乗せられて、あっ
という間に読んでしまった。考えると「仮面ライダー」や「ロボット刑事」も同じ
きっかけで大人になってから読み特撮番組とはまた違った面白さと深いテーマ性に
驚いたもんです。「人造人間キカイダー」にしても基本設定はテレビ版とほほ同じ。
メインの敵キャラまで石ノ森章太郎のデザインから作られてたことがよく判る。何故、
キカイダーのボディーは左右が非対称なのか必殺技デン・ジ・エンドは両腕をショート
させると磁力を帯びた高熱の電気メスになるとかは漫画読んでようやく知った。毎週、
一体ずつ敵を倒すフォーマットのテレビ番組と連載漫画では体質が全然別物だから
細かい相違点はいろいろとある。最も驚いたのは以下の設定だ。

実写版と原作者による漫画版では性格などが異なる。

 実写版では、良心回路が不完全なジローと異なり、心身ともに完全な正義感の強いロボット。良心回路の装備の有無は作中では言及されていない。この差は、拉致された敵研究所内で人目を忍んで作られたジローと異なり、完全な環境で製作された事が原因だろうか。

 漫画版ではジロー以前の試作品であるため、パワーは優れているが、良心回路が無く、判断力全般も大雑把で粗暴なきらいがある。

キカイダーの兄人造人間、キカイダー01は設定が全く逆だったのか。実はこのあたりの
設定の違いにテレビ番組には無い、原作漫画独自のテーマの深さがあるように思える。
不完全な良心回路を持ったためはジロー善悪の判断に悩まされ、変身したキカイダー
姿を醜い機械だと絶望している。襲い来る敵ロボットは自分で善悪の判断をする能力を
持たないだけ。本当の悪はロボットを操っている人間なのだ。戦うたびに命令を守る
しかない哀れなロボットを破壊することになりキカイダーの苦悩が深まっていく。
人造人間キカイダー01は良心回路が無いため戦闘力があっても幼児的な考え方しか
できない。女性型人造人間ビジンダーは同じ人造人間のジローを愛したことにより
苦悩することになる。戦いの中で人造人間たちは少しずつ「人間的」に成長をしていく
のだが「精神的」に人間になることが出来たのはキカイダー、ジローのみ。人間の脳を
移植され人間のずるさを持つハカイダーに打ち勝つのは完全な良心ではなかった。では
一体何か?そして善悪を越えて成さねばならないこととは?つまり「人間とは何か?」
「正義を行使する心の強さとは何なのだ?」この問いかけに対する切込みが深く現在
でも読むものの心に突き刺さってくる。全編ほとんどアクションシーンに関わらず、
これだけのテーマが伝わってくるのは素晴らしい。「悪の組織」を倒して大団円で終了
したテレビシリーズと比べると原作漫画のラストはあまりに苦い。ジローは人間の心を
持つことが出来たが「機械としての苦悩」が終わり新たな「人間としての苦悩」を
背負うことになるのだから。特撮番組の原作としてだけではなく広く読まれるべき
作品。もし人間性というものを見失って判らなくなるようなことがあったら一読される
のも良いかと思う。人によっては余計に激しく苦悩してしまうかもしれないけど、
それが「人間として生きている証拠」なんだよ。